404 infoseek Not Found.
以下の文章には特定人物への一方的な糾弾や、筆者の感情表現の乱れが含まれております。
私の嫌いな数字は404です。
ネット上で検索してやっと目当ての情報を扱っているサイトに辿り着いたと思ったら「404」。
辛うじて残っているgoogleキャッシュを頼りに、ページに記された情報をサルベージしていくとその内容の濃さから管理人の姿を知りたくなるものです。
しかしそのキャッシュ内には管理人の素性を知る手がかりがない――これほど哀しくなることはありません。
「もっと早くこのサイトを知っておけば良かった!!」そう思ったことは数知れず。皆さんもこんな経験ありませんか?
本日2010年11月01日AM2:00をもって、ネット上から数10万~100万の個人ホームページ(Webサイト)が消滅しました。(以降、区別の意味で個人Webサイトを「ホームページ」と呼びます)
その名は『infoseek(iswebライト)』
8月に「さよならisweb」という日記を書きましたが、とうとうX-dayがやってきたのです。
数々のホームページが消えていく光景に午前2時だというのに号泣しました。
私がインターネットを始めたのが1999年の夏です。
Celeron366MHz、メモリ64MB、HDD6GBのバリュースターNXにISDNのTAをシリアルポートで接続していました。
あれからもう10年以上が経ちます。
今よりも遙かに多感な時期をinfoseek、Yahoo!ジオシティーズその他と共に過ごして来たため、若干バイアスがかかっていることを予めご了承ください。
infoseekのiswebとは無料ホームページサービスでして、個人に50MBの領域が提供され、かつ、CGIが使えたとあって一時代を築きました。
現在の運営会社は『楽天』ですが、そもそもインフォシークはTripod、Lycos、freeweb、HOOPS!を吸収して成長していったサービスで、最古参のユーザはネット黎明期にまで遡ります。
総会員数は約200万人。(サイト更新を始めたものの3日坊主で終了というアカウントも含む)
かつては特定の企業や研究機関、一部のマニアだけのものであった「ホームページ」が、90年代後半のWindowsブーム、アナログモデムの普及、ブラウザの進化により個人で作れるノウハウが整い、2000年代初頭には爆発的に普及しました。
それはさながら江戸時代に花開いた町人文化のようでした。
プログラマでも何でもない全くの一般人が、
ソーテックの10万円PCを買ってしまったお父さんが、
ドリームキャストに夢を託した子供達が、
わざわざHTMLの文法を覚えてまで、
拙いフレーム&テーブルレイアウトを駆使してまで、
ホームページビルダーの吐き出すHTMLの汚さに我慢してまで、
ネスケとIEで表示を確認してまで、
色気のために点滅するGIF画像を貼り付けてまで、
マーキーでテキストをスクロールさせてまで、
マウスカーソルを変なアイコンが追ってきてまで、
GS音源もしくはXG音源なMIDIを鳴らしてまで、
工事中ページを作ってまで、
無駄に隠しページを作ってまで、
ゲストブックや100の質問を用意してまで、
キリ番報告を義務づけてまで
Sorry,Japanese Onlyしてまで、
フォントサイズや色、行間に凝ってまで、
少しでも笑ってもらえるよう道化を演じてまで、
ReadMe!のランキングに一喜一憂してまで、
メールボックスをパンクさせてまで、
リンクバナーを複数サイズ用意してまで、
相互リンクを強調してまで、
「無断リンク禁止です!」と宣言してまで、
WebRingに登録してまで、
偽春菜をしゃべらせてまで、
IRCをアッオー!アッオー!させてまで、
Flashのローディング画面を飽きさせないよう工夫してまで、
更新履歴を几帳面に書いてまで、
寝る間を惜しんでテレホタイムで更新してまで、
「みんなに伝えたかったこと」
が、インフォシークをはじめ、個人ほめぱげにはあったわけです。
(wordpressで書いている私が言っても説得力がないですが)、今のお手軽blogが悪いとは言いませんが、明らかに昔の方が「1ページ単位の情報量」があったのは確かです。
monta@siteを見ている方の年齢層は不明ですが、例えば、
「攻略 site:hp.infoseek.co.jp」 – Google 検索 でヒットした28,600件のサイトの情報価値が判りますか?
「気が遠くなるほどの時間を費やし、データベースを構築する」
ゲーム分野に限らず個人研究レベルを超えたサイトが多すぎました。
他にもアスキーアートや双葉関連の保管庫だって当時の流行・風潮を象徴するものです。
自作関連では「VideoChips」さんにはビデオカードが「ウインドウアクセラレータ」と呼ばれていた時代からの品評が載っており、私が自作を始めるまでの歴史(VGA戦国時代)を垣間見ることができました。
「GMCL Game Music Composer List」さんにはスタッフロールに出ない作曲者の情報、サントラのトラックリストまで網羅されていました。
これらのホームページ達はもはや無形文化財と言っても差し支えなく、一企業の損得で削除して良いものではないのです。
中には新サーバーに移転していただけたサイト様もありますが、その多くは更新停止のまま三木谷氏の一存により「なかったこと」にされました。
もしかしたら既に管理人は故人になられている場合もあるわけです。そんな管理人の「生きた証」であったホームページも「なかったこと」にされました。
奇しくも先日、米Geocitiesを保存するプロジェクトが発表されています。
◆Geocitiesの全Webサイトを収めた900ギガバイトのトレントができる
“Webサイトやホスティングサービスは、一時的な流行で終わってよいものではない。
それは、都市や森が一時的な流行ではないのと同じである。それらは、数え切れないほど長時間の、執筆や編集、思考、そして創造を表している。
それらはその時代を表現し、今ではずっと年老いている人たちや、すでに逝ってしまった方々の思想と夢を表している。
歴史が、そこにある。そこには、本物の、嘘偽りのない、真の歴史がある”。
これを読んで米Archive Teamの思想の崇高さと、方や、弱小小売りには高額な所場代を要求し、下品なレイアウトの商品紹介ページを陳列し、使いにくい商品検索システムを構築し、イーバンクの手数料は改悪し、ユーザーには大量のスパムメールを送りつける株式会社三木谷商店とのギャップに泣きそうになりました。それは、都市や森が一時的な流行ではないのと同じである。それらは、数え切れないほど長時間の、執筆や編集、思考、そして創造を表している。
それらはその時代を表現し、今ではずっと年老いている人たちや、すでに逝ってしまった方々の思想と夢を表している。
歴史が、そこにある。そこには、本物の、嘘偽りのない、真の歴史がある”。
仮にも現代日本のネット企業の雄(※実態は英語を喋るただの小売り業ですが)、球団を持つような会社が損得勘定のみでやって良いことではないです。
これは町人文化の破壊そのものであり現代の焚書行為です。
CSR(企業の社会的責任)という概念がありますが、楽天が真に果たすべき責務はペットボトルキャップを集めることではなく、これら集合知の無形文化財を未来に語り継ぐことではなかったのでしょうか?
infoseek上のホームページをアーカイブする作業が有志によって草の根レベルで行われていますが、有名どころのホームページはアーカイブされても、皆に忘れられた小さな個人サイトはもう二度と見ることができません。(そんな小さな個人サイトにも誰かにとって有益な情報が必ずある)
また、アーカイブされたと言っても圧縮ファイルとして残るだけで検索エンジン上から消えることに代わりありません。
個人サイトは例え管理人が亡くなっても死ぬことはありません。しかし、検索エンジンに引っかからないことは死を意味します。
願わくは、今からでもiswebライトサービスの継続を望みます。
末筆ながらこれが私が今思っていることの全てです。以上。